役者を志す……割に表情がよく顔に出る少女、朝香。
 その親友にしてツッコミ役、学級委員長にして生徒会副会長、更にちょっとした秘密を持つ少女、「ふうちゃん」。
 そしてどこか不思議な雰囲気を持つ転校生の少女、空。
 出会ったその日に三人が巻き込まれた、小さな事件の物語。

「何してくれてんのよ朝香ああああああああ!」
「ごごごごごごめんなさい! でもね、だってねふうちゃん、あのケーキがね! わたしに『食べてー食べてー私を食べてー』って!」
「ケーキが喋るかっ!」
「心の声で聴くんだよ!」
「それが出来たら苦労しないわよ……しっかしあんた、本当にころころ表情変わるわね」
 目の前で必死に言い訳する友人を見下ろして、私は嘆息した。友人――朝香は嬉しそうににへらと笑う。
「えへへー、表情が分かりやすいのは良いことだよね」
「素直に顔に出るのは女優志望としてどうかと思うけどね。あんた絶対シリアスな場面演じてる時に思わず吹き出しちゃう人間でしょ」
 困ったように笑って何も言い返してこない辺り、図星なのだろう。……まったく。そんなんで女優になるとか公言するから、演技の出来ない女優志望だーってよく話のネタにされているのに。
「あっ、ふうちゃんふうちゃん。そういえば明日だねー、転入生が来るの。どんな子なのかなぁ、楽しみだな〜」
「……あーそうね、とりあえずあんたみたいな子じゃなければ何でも良いわ」
 さりげなく話を逸らしやがったこいつ、と舌打ちしつつ適当に答える。ケーキの恨みは恐ろしいのだ。覚えてやがれ。
「つれないなー、ふうちゃん。どんな子か気にならないの?」
「んなこと気にしてる暇があったら勉強しなさい、赤点クイーン」
「……不思議だよねぇ。セリフはいくらでも覚えられるのに」
 目を逸らす朝香の頭を叩く。
「痛っ! やめてーふうちゃん、脳細胞が死ぬー!」
「あのねぇ! あんた記憶力はあるでしょ! それを全部セリフ覚えて演技する方に回しちゃうから勉強がちょっとアレなんじゃない! 半分くらい勉強に回しときなさいよ、あんた演技だってまだ当分上手くはならないでしょ!」
「……あれ? ふうちゃんも『演劇なんて将来役に立たないんだから止めなさい』派だっけ?」
「その答えはあんたが一番よく知ってるはず、でしょ。……っていうかあんた、本当大丈夫なの? 数学の小テストよ、明日」
「……へ?」
「へ? じゃなくて勉強しろっつの」
 まるでその話自体初めて聞きました、とでも言うような友人の頭を叩く。この子本当に大丈夫なのかしら……
「……ふうちゃん。今、何か凄く失礼なことを思ったでしょ」
「気のせいよ気のせい。あんた四六時中演技ばかりしてるから、白昼夢でも見たんじゃない」
「それは関係ないと思うよー!」
 叫ぶ朝香を無視し、立ち上がる。
「じゃ、そろそろあたしは帰るわね。いくらだったかしら、あんたに最後の一口を食べられたケーキ」
「まだ根に持ってるーっ!?」

 ***

「朝香〜。あーさーかー」
「今話しかけないで、ふうちゃん……っ」
 自分の席に座り、ぶつぶつと数学の公式を唱える友人に、前の席からちょっかいを出す。こういう時は席が近いと便利よね。
「だからさー、あたしいつも言ってるでしょ? 直前に勉強しても無駄よ、無駄。日々の積み重ねが物を言うの。演劇だってそれは同じよ」
「演劇だとそうだけどー、こういうのは直前の丸暗記も結構効果を発揮するんだよー!」
「暗記した直後限定でね。だからあんたは赤点ばかり取るのよ。肝心な時に役に立たなきゃ意味無いじゃない」
「……ふうちゃん、酷い」
 朝香ががっくりと肩を落として教科書を閉じた直後、教師が教室に入ってくる。いつも通りに朝の挨拶をした後、教師(担任。男性。三十二歳独身。ここまで戯言)は唐突に切り出した。
「さて、この間から言っていたが、転入生がいる」
 クラス全員から放たれる期待の感情。高校生にもなって転入生の一人や二人で浮足立つんじゃないわよ落ち着きなさい、と言ってやりたいのをこらえる。
 あたしは昨日朝香に言った通り、別にそこまで転入生に興味があるわけではない。けれど、それでもこれから同じ教室で過ごすことになる相手である。まぁ見とくべきだろうな、くらいに教師の言葉を聞き流し、彼に促されて教室に入ってきた転入生に目を向けた。
 ……一瞬、教室内に静かなざわめきが走った。実際に声を上げた人間はいない。皆その雰囲気に呑まれ、言葉を発することを忘れて、それでも混乱やら驚きの視線が飛び交う。
 入ってきたのは、一人の少女だった。特に容姿が良いわけでもない。いや、一人でいればそこそこ可愛い部類に入るとは思うけど、街を歩いていれば人ごみに埋もれてしまいそうな、そんな少女。浮かべているのも……やや鋭くはあるが、普通の笑顔である。
 ただ、纏うオーラだけが異質。
「かんばらそら、です。よろしくお願いします」
 よく通る声でただ二言。そうして黒板に書かれた文字は『菅原 空』……読みはすがわら、じゃないのね。割と珍しいんじゃないかしら。
「まだ一限目が始まるまで時間があるな、何か質問は」
「は〜い」
 教師の言葉を遮り、朝香が手を上げる。
「よし、自己紹介も兼ねつつ言ってみろ一条。言っておくがあまり突っ込んだ質問は駄目だぞ」
「大丈夫だよー先生じゃあるまいし。えっとねー、一条朝香です。あのねー、空ちゃんは演劇部とかそういう関係に入ってたりした?」
 朝香の問いを聞き、教室中から苦笑が漏れる。
「またかよー一条」
「もう聞き飽きたよー朝香ちゃん」
「知らない人を見るたびに言ってるよねー」
 ……ほら。もう皆あんたのそういう発言には慣れっこなのよ。
 しかし朝香はそんな声にも動じず、にへらと笑う。
「だってー、何かそんな気がしたんだもん」
「で、その『そんな気がした』は何回目よ」
 振り返って朝香の頭をこつんと叩き、再び黒板の前に立つ少女を見る。
「ごめんなさいね菅原さん、この子本当に演劇バカなの」
「いいえ、大丈夫。そうね、部活は特に入っていなかったわ。元々そこまで部活が盛んでもない学校だったから」
「へぇ、じゃあうちとそんなに変わらないのかしら」
 この学校も一応県内では有数の進学校で、そのせいかあまり部活動は盛んではない。朝香なんかは演劇部が無い、と事あるごとに嘆いているし。
 それよりも、この子……菅原さんも凄い。朝香の唐突な質問に全く動じない人間なんて、初めて見た。
 その後も彼女への質問は続き、まばらになってきたところで担任がストップをかけて、そうしてその朝は終わったのだった。

「一条さん、有原さん。一緒に食べても良いかしら」
 彼女がそう私たちに訊ねてきたのは昼休み。今日は晴れているから屋上で昼食にしようと、朝香と二人で席を立ったときだった。
「もちろん良いよ〜! ね、ふうちゃん」
「そうね、場所が屋上で良ければ」
「まあ、この学校は屋上に行けるの?」
 僅かに驚く彼女に、朝香が首を傾げる。
「菅原さんの前の学校は行けなかったの?」
「校則で禁止されていたわ。行事なんかで数回行ったことがある程度」
「そうなんだー……うちの学校は自由だよ! いつでも鍵空いてるから、今日みたいに天気が良いと大人気!」
「……だから早く行かなきゃ席が取れないのに何呑気に喋ってんのよ馬鹿」
 嘆息する私と悪びれる様子の無い朝香を、彼女は面白そうに眺めていた。

***

「そうだ、私先生にプリント提出して来なきゃいけないんだったわ……ごめん、二人ともゆっくり食べてて!」
 昼休みの三分の一が過ぎた辺りで、有原さんが唐突にそう叫んで去っていく。
 それを見守る私に対し、一条朝香と名乗った少女は苦笑を返した。
「学級委員長と生徒会副会長のダブルだからねー、ふうちゃんは。来年二年生になったら会長の座は確実だし、それに……まぁ、色々忙しいんだよ」
「……凄い子なのね」
「うん、とっても凄い子だよ! わたしの、自慢の親友」
 嬉しそうに答える少女を見て、私は目を細める。
「でも、好都合だったわ。貴女と二人で話したいことが……いいえ、貴女に訊きたいことがあったから」
「訊きたいこと?」
 きょとん、と少女は首を傾げる。私は首肯。
「ええ」
「ふうちゃんがいたら話せないこと、なの?」
「というより、貴女が困るんじゃないかしら」
「わたしが〜?」
 驚いた表情の少女に私は再び首肯し、そして訊ねる。

「それは、演技でしょう?」

 少女は、表情を変えない。
 どこか緩んだ微笑のまま、けれど強い意志を秘めた目で私を見つめ返す。
「それ、って?」
「その馬鹿みたいに素直な性格よ。ほんわかした態度の方は元々、みたいだけど」
「性格だって元々、だよ〜? ふうちゃんによく呆れられちゃうんだー、演技する人間がそんなに素直に感情出して大丈夫なのかって」
「だから。その素直さが、演技なのでしょう?」
 質問、ではなく確認。そんな口調で繰り返すと、彼女の微笑みが少しだけ変わった。
「どうしてそう思うの? やっぱり菅原さんも演劇好きとか? だったら嬉しいな」
「残念だけど、違うわ」
 私は思わず苦笑し、……一瞬だけ逡巡した後、彼女の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
「私はね、見慣れているのよ。毎日のように演技をしている人間、演技で稼いでいる人間っていうのを。……私の両親がそうだわ」
「うん、知ってる。有名な役者さんだもんね。わたし一度だけ会ったことあるから、菅原さんを見たらすぐ分かったよ。ご両親に似てるねってよく言われるでしょ」
 にこり、と笑顔を浮かべる少女に。
「……謀ったわね」
 私はただ苦い表情を返すのみ、なのだった。

 ***

「そろそろ仲良くなったかしらねー、あの子たち」
 職員室にて、私はふと呟いた。目の前で私が提出したプリントに目を通していた教師が訝しげな表情を浮かべる。
「どうした、有原」
「いいえ、何でもありません。それで、不備はありませんでしたか?」
「ああ、完璧だ。流石だな有原、会長以上に生徒の指示を得ているだけある」
「過剰評価にも程がありますよ、先生」
 苦笑するが、教師は真面目な顔で首を横に振る。
「ちっとも過剰なんかじゃないだろう……有原は成績も良いし、どこの大学だろうと推薦で楽に行けるだろう」
「私、大学に行く気はありませんから。そんな暇もありませんし」
「そうだな、実に惜しい……よし、特に直すところもないな。このまま提出しておくから、行っていいぞ。すまんな、貴重な昼休みを」
「いえいえ。では失礼します」
 一礼し、職員室を出る。
「さて……二人とも、まだ屋上にいるかしら?」
 私は僅かに笑みを浮かべ、ひとり呟く。
 屋上に戻ろうと階段に向けて一歩踏み出した瞬間、不意に叫び声が聞こえた。
「……の馬鹿! どうせあたしのことなんて何とも思ってないんでしょ!」
「そ、そんなことないって! 落ち着けよ!」
 激昂する女子生徒と、それを宥めようと必死の男子生徒。何だただの痴話喧嘩か、と嘆息。一応生徒会役員として仲裁しておくべきよね……そう思って近寄ろうとするよ、再び少女の怒鳴り声がそれを遮った。
「そんなことないわけないじゃない! 一体何人彼女がいるわけ!? 今日はどの子に会いに行くのよ! 本当最悪、女の敵だわ! あんたなんか、消えてしまえば良いのよ!」
 ぱちん、と。どこか間の抜けた音が響いて。
 気づくとそこに、男子生徒の姿は無かった。
「……え?」
 私は思わず声を漏らす。それは他の生徒たちも同様らしく、あちこちで起きるざわめき。その中心にいる女子生徒は、何が起こったのか理解できないかのように呆けていた。
 私は騒ぐ生徒たちを掻き分け、女子生徒の傍へ歩み寄る、軽く周囲を確認してみる……が、男子生徒はおろか、人が隠れられそうな隙間すら無かった。
「どういうことよ……」
 呟くと、それが聴こえたらしい女子生徒が喚く。
「わ、私じゃないわよ! 違う、私はちょっとあいつが消えちゃえば良いのにって本気で思っただけで、何も変なことは――そうよ私じゃない! 違う!」
「うっさいわね、そんなことは知っているから落ち着きなさい馬鹿」
 見覚えが無いので恐らく先輩……ではあるけれど、そんなことはお構いなしに一方的に黙らせる。うん、私もだいぶ混乱してるわね……
 まず、人間が急に消えた。これは事実。正直信じられないし信じたくもないけれど、人が手品のようにパッと消えてしまったのは、目の前で起きた事実。
 そして、それに関連する直前の出来事。女子生徒が心から思ったこと。男子生徒が消えれば良い、と
 その二つが関係ないと考えるのは……馬鹿のやること、よね。少なくとも現時点では、関係あると考える他ない。
「ねえ先輩」
「なっ、何よ! 違う、私は本当に違うんだから!」
「分かってるわよ、そんなこと。二度も言わせないで。……貴女、さっきの先輩が消えれば良いのにって、そう思ったわけよね。その時、その光景まで思い浮かべたり、した? 別にこの程度で犯人扱いしたりはしないから、正直に答えてくれるかしら」
「……した、わよ。あいつがまるで魔法か手品みたいに一瞬で消えちゃうところ」
「そう。……想像力、豊かなのね」
 ぼそりと呟いた言葉は、幸い女子生徒には聞こえなかったようで……私はとりあえず手を叩き、生徒たちの注目を集める。
「ほら、そろそろ予鈴が鳴るわよ。どうせ彼のいたずらか、手品部辺りの悪ふざけでしょ。後は私ら生徒会に任せて、あんたたちは教室に戻りなさい」
 生徒会役員、という肩書はこういうときに効力を発揮するもので、生徒たちは僅かに疑問を残してこそいるもののほとんど反論なく教室に向かう。

 やがて人のいなくなった廊下で、私は嘆息した。
「はー……まさかこの学校で、起こるなんてね」
 急に消える人間、その直前の『想像』……これとよく似た出来事を、私は知っていた。
 ああ、でも。『役者』は揃っているのか。女優志望で才能も申し分ない、一条朝香。本人こそ演劇に興味はないものの有名な役者である両親を持つおかげで演劇の腕は朝香と同等かそれ以上にある菅原空。そして……不本意ながら、私。
 役者は全員揃っている。
 ならば、演劇が始まるのは必至。
 幸いなことに、これを収める術を、私は知っている。この学校でただ一人、私だけが知っている。
それを実行しようと口を開くと同時、学校中に響き渡ったのは一つの銃声だった。

 ***

「なっ……何、今の音〜!」
「いえ、私に訊かれても困るけど……銃声、かしら」
「困ってないじゃん答えられてるじゃん! ……何で銃声?」
「さあ……とりあえず行ってみましょうか」
 そんな軽いノリで、私と少女は屋上を飛び出し、階段を駆け下りる。
 廊下をしばらく走ったところで、ざわめきが耳に届いた。見ると、……まだ顔を覚えていないから自信は無いものの、恐らく同じクラスであろう生徒が十人ほど。
「あれ〜? 皆、どうしたのー?」
「あ、朝香ちゃん良いところに! ねぇ、これどういうことなんだろ……朝香ちゃんでも菅原さんでも良いけど、分からないかな?」
「ふへ?」
 クラスメイトに突然告げられた言葉に、少女は呆けた表情を浮かべる。……まぁ、当然よね。
「一体何があったの?」
「うーん……ちょっと、説明が難しいんだけどね……さっき、ちょっとおかしなことがあって。何か、他のクラスでも同じようなことが起きてるみたい……」
「だから、何があったの?」
 私の問いに、彼女は言いにくそうに答える。
「あのね……何て言えば良いんだろう、考えたことが本当になっちゃう? みたいな現象がね、学校中で起きてるっぽくて……」
「ええー?」
 一条朝香が信じられないとでも言いたげに目を見開き、首を傾げる。
「じゃあ例えばー、空を飛べたら良いなぁとか思ったら本当に飛べ――わぁああああ」
「朝香ちゃん!?」
 ふわふわと浮かび上がる彼女を、今まで喋っていた少女が慌てて抑える。しかしそれも構わず、彼女はにへらといつもの笑顔。
「あっ、大丈夫―。慣れたら楽しいよー」
「慣れるのが早いわ、一条さん」
 満喫していらっしゃるようで何より。
「朝香で良いよー空ちゃん。それでー、他のクラスではどんな感じなのー?」
その質問に、呆れ顔で朝香を見ていた男子が答える。
「そこまで大したことは無いっぽい、っていうかお前の空中遊泳が今のところ一番の大事件だよ一条。……ああいや、さっき職員室の近くで先輩が一人消えたらしいって誰か騒いでたか」
「そっちの方が大事件だよー!」
 叫ぶ朝香に首肯だけを返し、私はクラスメイトたちを見回す。
「それじゃあもしかして、さっきの銃声もこのせいなのかしら。誰か行ってみた?」
全員が首を横に振るのを確認し、私と彼女は顔を見合わせる。
「……そういえば有原さん、帰ってきていないわね」
「あっ……そうだよ、ふうちゃん絶対首突っ込んじゃってるよおー! ごめんね皆、ちょっと行ってくるー!」
 走り出す彼女の後を追い、教室を出て階段を駆け下りる。一階に辿り着いたところで、再び銃声が聞こえた。
「そ、空ちゃん、あれー」
 少女が指差す目の前に、私もまた視線を向ける。
 拳銃を持った、一人の女性が立っていた。
 年は……二十代の後半ほどだろうか。漆黒の衣装に身を包み、宙を眺めていた彼女は、不意にその首をぐるりと回転させる。
 私たちの方へと。
「――っ」
 私は思わず息を呑む。その顔に感情らしき感情は、一切浮かんでいなかった。見開かれた二つの空虚な瞳が、私と少女の間を彷徨う。
 そこで私は、あることに気付く。
「……朝香。一階にいた生徒は、どこに行ったのかしら。昼休みだもの、いなかったわけが無いわよね」
「え? ……ほ、ほんとだー、いないね」
 きょろきょろと辺りを見回す彼女に、黒衣の女性はぽつりと。
「生徒なら私から逃げて上に行きました。私を呼んだ、この少女以外は」
 僅かに下がった女性の視線……その先に倒れる、一人の少女。駆け寄りたいのをぐっと堪えて、私は極めて冷静に訊ねる。
「それで、貴女は誰なのかしら」
「この少女の心に浮かんだ一つの可能性。この少女は先ほど、少年が消えるのを目の前で見ました。想像力豊かな彼女は、これから何が起こるのか事細かに『想像』しました。もしかしたらこれは何か得体の知れないものの陰謀で、この学校の生徒たちは皆一様に危機に晒されるのかもしれない――と。
 つまり私は彼女の想像により『生徒たちを危機に陥れる、得体の知れないもの』という役を与えられました。少女は意識不明ゆえ、これより私は勝手に役に沿って動くこととなります。彼女の『想像』の終焉まで」
「わわっ、何でそこで銃を構えるのー!」
 慌てる朝香を視線で宥めつつ、女性の言葉の意味を考える。
 よく分からなかったが……つまりこの女性もまた、このよく分からない現象の一部だということらしい。
 そして困ったことに――今から生徒全員を危機に陥れる、らしい。
 どの程度からが『危機』なのかは分からない。そもそも危機に晒されるという言葉だけでは、その後助かるようにも取れ……いえ、そこははっきりと断定は出来ない、けれど。
 分かることが一つ。恐らく、この現象が治まれば女性もまた消える。……収める方法など分からないけれど、それまで女性を抑えておくことは出来――
「っ!」
「わっ!?」
 そこまで考えたところで、突如突き飛ばされた。次の瞬間、今まで私たちがいたところを何かが物凄い勢いで通り過ぎる。 何とか体制を直して視線をあげると、目の前にはさっきまで一緒にいた少女がいた。
 朝香が安心したように頬を膨らませる。
「遅いよ〜、ふうちゃん」
「呑気ねあんたたった今命の危険に晒されたばかりなのに助けなきゃ良かったわこの能天気おバカ娘」
「酷いー!」
 貴女も十分緊張感に欠けているわ有原さん、と言いたいのを堪えて立ち上がる。
 ――視界の端に移った、銃を構えた女性。その先には……
「有原さんっ」
「大丈夫よ」
 振り返りもせずに、彼女は平気そうに微笑む。
 ばんっ、と放たれる弾丸。
 ぱちん、と鳴らされる指。
 減速し、少女の足元に落ちる弾丸。
「……は?」
「ほらね」
 僅かに肩を竦め、少女は苦笑する。
「別に大したことはしていないわ。ちょっと弾丸とか避けられたら凄いなーとか『思った』だけ。……いえ、正しくはそういう演技をしただけ、かしら」
「どういうことー?」
 首を傾げる朝香に、そして私に、言い聞かせるかのように。

「演技しなさい。魔王に挑む勇者でも何でも良いわ、そういうことが出来る人間を演じるの。そうして彼女を倒せば、この現象は止まるわ。彼女はこの現象の一部であり、この現象の核だから」

「させません。私は役目を果たさなくては」
 僅かに焦燥感を浮かべる女性に対し、有原さんは何というか……とても女子高生らしくない、威圧感のある笑顔。
「はっ、ふざけんじゃないわよ現象如きが。生徒会として、生徒を危険な目に遭わされると困るの」
「わー、ふうちゃん凄い勝手な理由だねー」
「人間なんて勝手なものよ。……そんなわけで、さっさと帰っていただきましょうか」
「うん、私魔法使いやってみたいー!」
「……朝香のその順応性が怖いわ」
 二人の会話を聴きながら、私はこっそりと嘆息した。

 ***

 動ける、と思い込めば動く。自分は剣士だ、と思えば握ったこともない剣が使えてしまうし、魔法使いだと思えば適当に唱えた言葉が呪文になる。
 普段舞台上で感じる高揚感が、何倍にもなって膨れ上がる。ああ、演技って楽しい! これだから止められない! 私は私だけど、なろうと思えばいつだって『別の誰か』になれてしまうから!
「ふうちゃん、その笑顔怖いー」
「笑ってないわよ」
「無意識なのは余計怖いわ、有原さん」
 嘆息しながら、菅原さんは相手が使っているのと全く同じ銃を撃つ。……「戦い方なんて分からないからとりあえず真似してみたわ」らしい。どれだけ観察力あるのよ。
 そして朝香は予想通りというべきか、魔法使いを存分に堪能している。元々ファンタジー好きなこともあって、戦い始めて数十秒もしないうちにそのコツを掴みやがったのだ。本当に、菅原さんの言った通り順応性の高さは化け物レベルである。
「えーい、バギクロス! ミナデイン! ドルマドン!」
「待ちなさい朝香あんたさっきからドラクエの魔法しか使ってないじゃないこの馬鹿! あと無駄に効果が大きい!」
「でもねふうちゃん、それでもあんまり効いてないよー?」 相手を見ると、まるで人形が壊れたかのように私たちの攻撃が当たった部位だけが砕けて消えている。知ってはいたけれどちょっとホラーだ。何で平気なのよこの二人。私は何も説明してないのに。
「言っておくけどあれ、心臓ぶち抜いても死なないわよ。こうやってちょっとずつ砕いていかなきゃ駄目。全身砕けて散ったらこの現象自体終わるから」
「……ああ、だからナイフなのね」
 菅原さんが、私の手に握られたナイフを見ながら呟く。
 無数の小さなナイフ。相手を『砕ける』範囲が比較的広いそれは、この現象の度に使っているせいか既に驚異の命中率を誇る私の武器だった。無くなっても無限に出せるし。
「とはいえ、このままじゃだいぶ時間がかかりそうねー……」
 ちまちまと削るだけじゃ、向こうが完璧に消えるのはいつになることやら。
「ねぇ、菅原さん」
 仕方なく、私は彼女に耳打ちする。私は何度もやっていることだし、今回は彼女と朝香に任せてみても良いでしょう。そう判断して。
「……って、出来そう?」
「出来なくもないけれど……何故?」
「その方が楽でしょ? それと朝香」
「なぁに〜ふうちゃん!」
「私が合図したら全力で結界的な何かを張りなさい。ドラクエでもFFでもテイルズでもハリポタでもあんたのオリジナルでも何でも良いわ、とにかく絶対こっちに余波が来ないように。範囲はあいつの周り」
「ふうちゃん、何気にゲーム詳しいよね……了解っ!」
 嬉しそうな朝香は無視して、私はタイミングを計る。
「二人とも、準備は良いわね?」
「ええ」
「おっけーだよ!」
 手に『それ』を生み出し頷く菅原さんと、いつの間にやら手に持っていた魔法の杖らしき錫杖を握りしめる朝香。
 ……本当エンジョイしてやがるわねこいつら。
 やがて、女性が僅かに動くのを、私は見逃さなかった。
「今っ!」
 私の合図で、菅原さんが手にしていた『それ』――ちょっと魔法で威力倍増☆ とかしちゃった手榴弾を投げつけ、朝香は錫杖を一振り。
 手榴弾が女性の元に辿り着き、爆発する直前、タイミングよく薄い光の幕が彼女を包み込んだ。
「――っ!」
 声にならない悲鳴。彼女は目を見開き、そして……

 ***

「……で? 貴女は一体何者なのかしら。何故あの現象のことを知っていたの? もちろん説明してくれるんでしょうね」
「い、いや、まぁ・……話す、話すから落ち着きなさい菅原さん。怖いわ」
 詰め寄ってくる菅原さんを宥めつつ、私は引き攣った笑みを浮かべた。
 さっきの戦いから、まだ十分も経っていない。臨時の職員会議のため自習となった五時間目だが……私たちは当然のように駄弁っていた。というか私が詰問されていた。
「で?」
「いや、だから睨むのは止めて菅原さん。怖いわ。……何度かね、同じ場面に遭遇したことがあるのよ」
「何故?」
 その問いに、私は苦笑。
 ……まぁ、いいか。多分この子とも、長い付き合いになるだろうし。
「そうねぇ……それじゃあその質問に答える前に、改めて自己紹介かしら」
 くるり、と振り返る。

「生徒会副会長、有原伊吹――職業は、女優よ」

「……は?」
「それも、だいぶ人気沸騰中の凄い女優さんなんだよねー」
 ほわほわとした朝香の言葉に、菅原さんは嘆息。
「……そう、そういうこと。つまり、貴女は誰よりも演技が上手いってわけね。役者の娘である私どころか、本気で目指している一条さんよりも」
「ま、平たく言えばそういうことになるかしら。ちなみにさっきのアレの対処法を知っていたのは、仕事中に何度か同じことがあったからね。原因は不明なんだけど。対処法はいつも同じだから、束の間の『ファンタジー世界の住人』気分を楽しませて頂いてるわ。消えた人間だって、現象自体を終わらせれば全員戻ってくるし」
「そだねー、あれは楽しかった〜!」
 そりゃあんたは楽しかったでしょうね、あれだけ順応していれば。
 私はお気楽娘を無視し、菅原さんに向けて肩をすくめる。
 「ちなみにこの学校に来ているのは息抜き、なんだけどね。それと……ああ、演技の練習かしら。それこそ、『別人だと思われる』くらいの」
「そうね、髪型と喋り方が違うだけで分からなくなるなんて思わなかったわ……仕事は?」
「休みの日とか放課後にまとめてやってるから、今のところ問題なし。……そんなわけで、黙っていたのは悪かったけど、しばらく内緒にしていてくれると嬉しいわ。……空」
 苦笑交じりに名前で呼び捨てる。すると彼女は一度だけ驚き、そして嬉しそうに微笑んだのだった。



「そうね。そうしてあげるわ、伊吹」

2011/07/20
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