人には一生に一度だけ、魔法を使う資格がある。光を抱き、罪を犯さず、善良に生きる者にだけ、女神がそれを与えるのだと、誰もが幼い頃から教え込まれた。
 この世界の誰もが知っている、御伽噺にして昔話。
 光を抱く信心深い人々に、神が授けた一度きりの奇跡。
 ゆえに、ただ神を愛し、神に愛された幸せな世界に自分は生きているのだと、人々はそう信じていた。女神を信じている限り、女神の奇跡がある限り、自分が不幸になどなるはずはない。誰もがそう信じて疑わず、のんびりと平和に生きてきたのだ。善行を積み重ね、悪事を働くことなく、女神に感謝と祈りを捧ぐ日々を。

 ……ああ、それなのに。
 女神は僕たちを裏切った。信じたところで、不幸は容赦なく人類を襲った。
 初めの頃は彼女を信じるより他に道はなく、みんな自分を誤魔化して、不信を覆い隠して、荒廃した世界で再び生き始めたという。
 けれどそれも長くは続かず、やがて人はようやく思い知ることになる。祈ったところで救われはしない。荒廃しきったこの世界で、罪を犯さずに生きていけるわけがない。最早、善良なままでは生き残れないのだと。
 そうして、『昔話にして御伽噺』であった女神の奇跡は、ただの『御伽噺』に成り下がる。僕たちの先祖は光を捨て、奇跡を捨て、剣を取って生きる道を選んだ。

 それすらも、もう遠い昔の話。人口すらも激減した今、人類は争うことすら止めて、穏やかな日々をただ淡々と過ごしていた。
 世界が滅ぶ、その瞬間まで。

 ***

「っと、よし。動いてみてくれ」
「問題ないようです、マスター」
 僕の言葉に対し、目の前に立った彼女は手を握ったり開いたりするというごく簡単な動作を幾度か繰り返し、無表情で頷く。それに対し、僕は呆れを込めて嘆息した。
「そんな簡単な動作で判断するな、といつも言っているだろう?」
「あっ、……はい。申し訳ありません」
「ただでさえお前は欠陥品なんだ。激しく動いた瞬間、転んで壊れでもしたらどうする?」
「それは……マスターが、直してくださるのでしょう」
 無機質な瞳が、僅かに不安そうに揺らぐ。……毎回、メンテナンスのたびにこちらが飽きるほどに言い聞かせているのだが、このポンコツはまだ理解出来ないらしい。ちっと小さく舌打ちし、僕は彼女を睨みつけた。
「今はな。けどいつも言っているだろう、もう忘れたのか? 荒廃したこの世界で、いざ人間が滅ぶというそのときに、最期の人間を看取るのは誰だ?」
「私たちアンドロイドです、マスター」
「ああそうだ。そのとき、お前たちを直せる人間はこの世に存在するか?」
「……いいえ、マスター。最期の人間を看取りしその後は、この身が錆びて朽ち果てる時までこの世界をお守りするのが私たちの役目です」
 その目を伏せ、哀しげに答える彼女に対し、僕は再び舌打ちを返した。……分かっていて、それでもなお言っているのだ、こいつは。そんな彼女を嘲笑うように、僕は唇を歪めた。
「答えだけは優等生なのにな。知っているよ、お前は人間になりたいんだろう? いつも僕のことを羨ましそうに眺めているもんな」
「それは……」
「僕に出来損ない扱いされるのがそんなに嫌か? まぁ確かに、お前を作った師匠が物好きだったから、アンドロイドにしては抜群に整った容姿だもんな。人里に出て、人間じゃないことを上手く隠せば、こことは比べ物にならないくらいちやほやされるだろうさ」
 容姿が良いアンドロイド、というのは実はかなり希少である。かつて……まだ人々が争いという言葉を知っていた頃、この世界には死刑執行人という職業があった。罪人の首を狩るその仕事は、命を奪う汚い仕事だと忌み嫌われ、同じくらい恐れられていたらしい。元々、アンドロイドというのはそんな彼らを差別から救うために作り出されたのである。彼らだけでなく、同じような不遇な境遇にある、人が嫌がる仕事を引き受けた者たちを救うために。心を持たない彼らなら、いくら罪人を手にかけても、いくら人に嫌われても、傷つくことはないだろうからと。悪役を引き受けるために作るのだから、悪役らしい容姿を与えるのが常識だったらしい。
 そんな世間の流れに見事逆らってみせたのが、かつて親に捨てられた僕を拾ってくれた恩師。この研究所の主だった、変わり者の研究者である。
 彼にとって、アンドロイドを単なる都合のいい道具で終わらせるのは何よりも耐えがたいことだったらしい。師はアンドロイドの在り方を変えることにその生涯を投じた。嫌な仕事だけを代行する嫌われ者の機械ではなく、最期まで人間の傍に寄り添い続ける永遠の友に。
 その彼の言う『最高傑作』が、今僕の目の前にいる欠陥品だった。……そう、僕にとって彼女は、傑作でも何でもない。
「マスター! 私は、ここを出て行く気はありません」
「またそれか。さっきお前が自分で言ったんだろう、アンドロイドなら役目を果たせ。人の多い場所に出て行って、世界が滅ぶその瞬間まで人の傍に在れ。だからお前は欠陥品なんだ、出来損ない」
「私、は……」
「……もういい。問題がないならさっさと朝食を作ってくれ」
 吐き捨てるような僕の言葉に、彼女は無言で頭を下げ、部屋を出て行く。その声が僅かに震えていたように聞こえたのは、きっと気のせいだろう。
 師から受け継いだこの研究所にも、かつてはたくさんのアンドロイドがいた。彼らは師が息を引き取ったとき、僕と共に彼を看取り、埋葬し、一人また一人とここを去っていった。亡き主の言葉通り、役目を果たすと言って。
 最後に残ったのが、あの欠陥品だった。彼女だけが僕を主と呼び、今もここに残っていた。普通に考えて、そうする理由はどこにもないはずだ。自分を欠陥品と罵り、早く出て行けと繰り返す男を主扱いなんて、どうかしている。
「……どうすれば」
 彼女は僕を見捨ててくれるのか。呟いた途端、けほっと乾いた咳が出た。それは止まることなく、呼吸すら困難なほどに続いて、数分後にようやく収まる。
 呼吸を整え、視線を下ろすと、異常なほど青白い手があった。……滅多に外に出ないせいだ、分かっている。それでも、それは遠くない未来に訪れるであろう不吉な未来を暗示しているように見えた。自分の体のことは、自分が一番よく分かっている。きっと、もう長くない。
 欠陥品のアンドロイドは、まだこのことに気付いていないのだろう。出来ることなら、気付かないままさっさと出て行ってほしかった。弱り切って死ぬ姿など、例え出来損ないの彼女であっても、例え心を持たないアンドロイドであっても、見られたくなかった。
 優しさなんかじゃない。それは単に、ちっぽけな自尊心の欠片が僕にも存在したという、ただそれだけのことだったのだけど。

 ***

 主が血を吐いて倒れたのは、一ヶ月ほど前のことだった。話したがらない彼からようやく聞き出した話では、それ以前から兆候はあったらしい。なんてこと! マスターの異変に気付かなかったなんて、アンドロイド失格だ。そういえば彼はいつものように、お前は元々欠陥品だろうと笑うのだろうけど。
 同時に、マスターが私に出て行けと言い続けた理由も察した。気高い彼は、弱った姿を私なんかに見られたくなかったのだろう。それでも私はこの一ヶ月、主の言葉に逆らい続けた。看病を続けたけれど、彼が回復する様子はない。アンドロイドには医者としての技術と知識もインストールされているのだけれど、治す方法が見つかっていない病に対して出来ることは少ないだろう。最早自力でベッドから起き上がることすらままならないほどに、主は衰弱していた。
「……お前、早く出て行けよ」
 横になったまま、青白い顔をこちらに向けて、彼は今までと同じように言い放つ。けれど私に内蔵されたプログラムは、その声色から今までとは違う感情を読み取っていた。……寂しさ、辛さ、心細さ、そういった類の弱々しい感情。マスターもやはり人間だったのだ、と場違いにも嬉しくなって、私は思わず微笑む。
「いいえ、マスター。ずっとお傍にいます」
「嫌な笑い方だな。主の無様な姿を見るのがそんなに楽しいのか?」
「え? いいえ、まさか」
「なら、どうして――」
 言葉の途中で彼は突然咳き込み始め、私は慌てて彼を抱き起す。手渡した水をゆっくりと飲み込み、深く息を吐くと、彼は再び私を睨んだ。
「楽しいだろう? 立場が逆になって、見下される側から見下す側に回れて、嬉しいんだろう。僕を嘲笑うのが楽しいから、ここに留まるのか?」
「私がいつ貴方を嘲笑ったのですか、マスター。先程のは、そういう意味で笑ったのではありません。ただ……こういうと貴方は怒るかもしれませんが、他のアンドロイドに対しては完璧を貫き続けた貴方が、私には人間らしいところを見せてくださるのが嬉しくて」
「やっぱり見下しているんじゃないか」
「ですから、そういう意味ではないと申し上げておりますのに」
 説明が難しい。ああ、こういう時、何と言えばいいのだろう。言葉が見つからなくて黙り込む私から視線を逸らして嘆息すると、マスターは不意にぽつりと呟いた。
「お前は変な奴だな」
「……変、ですか? 欠陥品ではなく?」
「プログラムに無い行動を取るって意味じゃ、十分欠陥品だな。そんな笑い方をするアンドロイド、お前以外にいない」
 私が作られる以前にも、この研究所にはそれはもうたくさんのアンドロイドがいて、みんな順に旅立っていったという。それを見送ってきた彼だから、そう断言できるのだろう。今までに見たことが無いほど……否、見たことはあるが私に向けられたことは一度も無かった柔らかい表情に、私は首肯を返す。
「最高傑作、ですから」
「……それ、結局どういう意味なんだ?」
「内緒です」
 訝しげな視線を向けてくる主に対し、私は悪戯っぽく微笑んだ。

 *

 マスターの態度は少しずつ柔らかくなっていったけれど、同時にその体調は少しずつ悪化していった。もう明日を迎えられないかもしれない、互いに毎日そう思いながら生きるほどに。ある日の朝、部屋に入っていった私に、マスターは複雑そうな目を向けてきた。
「心、だったんだな」
「え? ……おはようございます、マスター。何の話ですか?」
「ああ、おはよう。お前が最高傑作である理由、だよ。……なるほど、道理で僕に言えない訳だ。あの馬鹿師匠、そんなものを完成させていたんだな……最高傑作、ね」
 心を持ったアンドロイド。それは、言ってしまえば禁忌である。人間が心を持つがゆえに出来ないことを引き受けるのが私たちなのだから。あえてそれを作り出すことは、アンドロイド研究で唯一固く禁じられていた。とはいえ、私を作り出した彼の師にとっては、そんな決まり事も意味を為さなかったのだけれど。
「ええそうです、マスター。私は世界で初めての、そして恐らく最後の、心を持つアンドロイドということになります。よくお分かりですね」
「じゃあ、僕は悪いことをしたな……」
 噛み合わない会話に、私はきょとんと眼を瞬かせる。彼は僅かに微笑むと、「起こしてくれ」と呟いた。私はとりあえず言われたとおりに彼を起こし、支える。高熱は今日も下がらないのか、その体はだいぶ熱かった。
「マスター、寝ていらした方が」
「……出来損ないとか、欠陥品とかさ。心があるなら、辛かっただろう」
「いえ、それは」
「心……心、か。……じゃあ、やっぱりその方が良いんだろうなぁ」
「はい?」
 なおも噛み合わない会話に、再び首を傾げる。彼は私を見上げると、苦しそうに微笑んだ。
「今も、人間になりたいか?」
「マスター?」
「……ああ、あの御伽噺は、お前たちにはインストールされていないんだったか」
 熱で頭でもおかしくなったのだろうか。不敬にもそんなことを考える私を見て、主は僅かに苦笑じみた笑みを浮かべる。その唇が、不意に聴き慣れない名を紡いだ。
「魔法の祖、奇跡の女神クローディアよ」
 それを聴いて、ふと思い出す。そうだ、確かおとぎ話に出てくる、願いを叶えるという女神の名だったはず。確かにインストールされてはいないけれど、たまに人里にも降りていたから、噂として耳には入ってくる。……何故今、その女神の名前を?
「心を持つアンドロイドは禁忌です。見つかればきっと、彼女は廃棄されてしまう……酷いことをしたはずの僕にも優しくしてくれたこの子を、そんな目に遭わせたくない。彼女がいてくれて良かったと、今は心からそう思っているのです」
 嬉しい。けれどどうしてだろう、酷く嫌な予感もした。
「心を持つ身で、アンドロイドの役目に耐えることは出来ないでしょう。彼女なら出来るかもしれませんが、そんな辛い思いをさせるのも嫌なのです。だから……

 僕の命と引き換えでも構いません。どうかこの子を、彼女の望み通り人間にしてあげてください。温もりを持ち寿命を持つ、僕たちと同じ存在に。
 それが、僕の魔法です」

 彼の言葉に、私は目を見開く。そんなこと、出来るわけがない。そう思うと同時に、私は伝え聞いた話の中身を思い出していた。……あれは、御伽噺ではなかったの?
 そんな私を見て、主は弱々しく微笑む。
「お前の望む形じゃないのは分かってる。けれどどうか、幸せになってくれ。……先に逝って、ずっと待っているから」
「っ、マスター」
 支えていた体が、不意に重みを増す。……否、辛うじて彼が自分を支えていた力が無くなったらしい。その意味を理解すると同時に、どくん、と私には無いはずの器官が脈打つのを感じた。恐る恐るマスターの胸に手を当てるが、さっきまでは弱々しくも確かに動いていたはずの心臓が、冗談のように静まり返っている。
「……嘘」
 確かに人間になりたいと思っていた。けれどそれは彼がいたからで、彼の隣に立ってみたかったからで、……マスター、貴方がいなければ、意味なんてないのに。絶望に染まりかけた心に、彼の最期の言葉が蘇る。待っている、と。
 マスターはこの研究所から出たことがほとんど無かった。外の世界に憧れながらも、同時にとても怖がっていた。私は、それを知っている。……ならば、私が。
「……ええ、待っていてくださいね、マスター。世界中を見て回って、幸せな話をたくさん持っていきますから」
 ああ、その前にまずは、彼を弔わなければ。
 生まれて初めて頬を流れていた熱い雫を、手の甲でそっと拭う。彼をベッドに横たえると、私は部屋の外へと足を踏み出した。


 ***


 穏やかな破滅の中でも、物語は紡がれる。
 終わりは始まりを誘い、彼女は世界に立つ。
 哀しみを抱き、喜びを抱き、彼女は世界を廻る。


 人となった少女が見るのは、滅びゆく優しい世界。
 神となった少女が見るのは――

2013/06/12
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