「はい、ではこの列の一番後ろの……そう、あなた。魔法について知っていることを、知っているだけ言ってごらんなさい。
 ……うん、うん、そう。大体正解です。
 悪いことをせず、善良に、光を抱いて生きる人間は、一生に一度だけ奇跡を起こせる。それこそが、女神様が我々に授けてくださった魔法ですね。ええ、よく勉強しています。
 え? 一度魔法を使ってしまったら、その人はどうなるのかって?
 どうにもなりませんよ。今までの生活が続くだけ。ただ、もう二度と魔法が使えなくなる代わり、起こした奇跡の結果が傍にあるだけです。分かりやすいでしょう?
 まぁそれはテストには出しませんから、さっき言ったことだけ、しっかり覚えて帰るように。皆さんも小さい頃から散々ご家族に聞かされたでしょうが、細かい間違いがあったら今のうちに覚え直しておくんですよ。
 では、今日の授業に入りましょうか。教科書の……何ページでしたっけ?
 ああそう、そうでしたね。では、二十ページを開いてください。今日はいざ魔法を使うときの呪文について、やっていきましょう」


 この世界の人間なら誰もが知っている、御伽噺にして昔話。
 人に授けられた、一度きりの奇跡。そのせいか、この世界で凶悪犯罪というのは殆ど起きない。……いや、まぁ、一年に一回くらい現れるけどさ、トチ狂ったのが。それでも基本は善人である。
 一口に『善人』と言っても、本当に人に奉仕することが生きがいみたいなお人好しやら自分の魔法を使いたくないからそんな事態が来ないように人を助ける人間やら、挙句の果てに現実では絶対他人に会わずにネットで人生相談とかして暮らしている人間がいるなんて噂も聴いたことがあるわけだが、さておき。
 教師の言葉は、心地良い子守唄の如く俺の頭を通り過ぎる。
 他の奴らもそうだろう、今言われた通り、この程度のことは物心つく前から大人たちに散々教え込まれて、もううんざりなほどよく知っているのだ。今日習うという『呪文』については知らない奴もそこそこいるようだが、それだって熱心な親はとっくに教えている。うちがまさにそうで、ぶっちゃけてしまうと俺は数を数えるより先に魔法を使うための呪文を覚えたという。
 教室の中、喋り続ける教師と眠り続ける級友たちを一望出来る、一番後ろの窓側の席。そこからふいと顔を横に向けると、窓の外に広がる校庭に視線を落とした。
「……確かに、どうにもならなかったな」
 魔法を使ったって、今までの生活が続くだけ。教師の言葉を思い出し、俺はそっと嘆息する。思い出すのはほんの二年ほど前、まだ中学生だった頃のこと。俺が、一週間ほど行方不明になったときのことだった。

 ***

「あの……大丈夫、ですか?」
「……ぅ」
 聴こえたのは鈴を転がしたような、少し高めではあるがとても綺麗な声だった。
 それに俺は呻き声を返し、ゆっくりと体を起こす。目を開くと、透き通った紫の瞳が、思ったよりもかなり近くにあった。
「っ、わぁ!」
「あっ……ご、ごめんなさい!」
 思わず顔を背けると、同時に少女も真っ赤になって目を逸らす。少しして、彼女はおずおずと俺を見た。
「……大丈夫、そうですね。良かった、安心しました。こんな何もないところに倒れているなんて、一体どうしたんですか? 心配したんですよ」
「ああ……悪い、ありがとう。あの、あんたは?」
「どういたしまして。名乗るのが遅れましたね、ごめんなさい。わたくしはエカテリーナ。エカテリーナ=フォン=ルンドグレンと申します。……ご存知かもしれませんが、驚かないでくださいね、これでもこの国の王女です」
「王女?」
「はい」
 どこか縋るような上目遣いの視線で、彼女は頷く。真っ直ぐに伸びた銀髪が、さらさらと揺れた。
 ……王女。もはや歴史の教科書でたまに見るか見ないか、程度のものではなかったか。王国などと言うものは随分昔に滅びて、今では本の中でしかその存在を知ることは出来ないはずだ。

 ただしそれは、『元の世界では』の話。

「……ははっ」
「どうかしたのですか?」
 突然笑みを零した俺に、彼女は訝しげに首を傾げた。俺はなおもこみ上げる声を抑え、笑顔のままで少女を見る。
「ああ、ごめん。魔法は本当にあったんだな、って思ってさ」
「魔法? 女神様の奇跡のことですか?」
 その言葉に、どうやらこの世界にも同じ概念があることを知る。流石に物語の中にあるような、魔法が何度もあって女神が存在しない、そんな世界には行けなかったか。
「そう、それだよ。……俺も自己紹介がまだだったな、俺は秋月和哉。いや、あんたたち風に言うと、カズヤ=アキヅキ、ってことになるのかな」
「聞いたことが無い響きですね、遠くの国からいらしたんですか?」
「そうとも言うな」
 無邪気に首を傾げる少女に、俺は笑顔で頷いた。そう、それは間違いではない。遠くの国から来たのは、確かなのだから。
「俺は……ここじゃない、別の世界から来たんだ。女神の授けた、魔法を使って」
 それが、始まり。
 長い長い俺たちの一週間の、始まりだった。

*

「カズヤっ! またこんなところにいたのですか?」
「やべっ」
 聴こえた声に、思わず木剣を取り落とす。俺と手合わせしてくれていた騎士もまた、今まさに俺に向かって振り下ろそうとしていた木剣を静かに下ろすと、その顔に苦笑を浮かべた。
「ほぉら、言わんこっちゃない。お迎えですよ、カズヤ様」
「……別な奴が良かったなぁ」
「何が不満なんですか、姫様直々に迎えに来てくださるなんて、他の騎士たちが聞いたら羨ましがりますよ」
 実際、練習場にいた他の騎士たちは、突然現れた華に釘付けである。それに気付くと、元凶たる王女は「こらっ」と人差し指を立てた。
「皆さん、稽古はどうしたのですか? わたくしを慕ってくださるのは嬉しいですが、きちんと腕も磨いてくださいね。皆さんはこの国の誇りなのですから」
「はいっ!」
 綺麗に重なる返事。王女に褒められた嬉しさからか、はたまた期待に応えようとしているのか。騎士たちは再び向き合うと、さっきまで以上に真剣な表情で稽古を再開した。
 満足気に頷くと、彼女はくるりと振り返り、恨めしげに俺を睨む。
「それで、カズヤ? 皆さんの邪魔はしないでくださいと、昨日も言いましたよね?」
「邪魔してはいな――」
「カズヤ」
「……はい、言いました」
 微笑む少女の瞳の奥が笑っていないことに気づき、思わず敬語で答える。これが屋内だったら正座しているところだ。
 彼女はじっと俺を見ると、やがて呆れたように嘆息した。
「まぁ、良いです。戻りましょうか」
「いえっさー」
 適当に答え、彼女の後について歩き出す。練習場を抜けて城に入ったところで、彼女はぽつりと呟いた。
「……楽しそうですね、カズヤ」
「え?」
「この世界は、楽しいですか?」
 少し前を歩く少女が、どんな表情をしていたのかは分からない。しかしその問いにだけは、俺ははっきりと答えることが出来た。
「ああ、楽しいよ。元の世界よりずっと」
「……そう、ですか」
「俺がいた世界ってさ、退屈だったんだ。毎日同じことの繰り返しで、特別なことなんて何一つ無くてさ。大人になったら旅か何かしようって決めてたけど、よく考えたらどこに行ったって同じなんだよ」
 ずっと昔、元の世界にもまだ王国やら公国やらが存在していた時代なら、話は違ったかもしれない。しかし世界が統一されてしまった今、そんなことを思ったところで何になるのか。王国という概念が滅びたのと同じ頃に、何らかの理由で一度世界も滅びかけ、文化も文明も統一されて、どこに行ってもほとんど代わり映えしない世界の出来上がりだ。半分以上失われた科学技術に人々はやる気を失くしてしまったらしく、最盛期の暮らしは失われて、今は統一から数百年前の文明から一向に先に進まない。
 そんな世界は、酷く退屈だったのだ。
「非日常、ってやつが欲しかったんだ。……そりゃ、この世界で暮らしてる人間にとっては、この世界は日常かも知れない。新鮮なことばっかでさ、凄く楽しいよ。カティにも会えたし」
「っ」
 付け足した言葉に、少女は真っ赤になって顔を伏せた。隣に追いついてそれを確認すると、俺は思わず笑みを零す。
 カティに――エカテリーナに出会ったのは、日数にしてみればほんの四日前のことだ。だが四日も一緒に過ごせば、彼女の性格くらいは分かる。……まぁ、はっきり言ってしまえば、俺は惹かれていたのだ。王女として強がってはいるものの、純粋で騙されやすくて、心優しいこの少女に。
 エカテリーナでは長くて呼びにくいから、は嘘。俺だけが呼ぶ彼女の愛称に、俺が特別であるような錯覚を覚えた。
 毎日彼女の目を盗んで練習場に行くのだって……まぁ騎士たちと談笑しながら相手してもらうのも楽しかったが、それ以上に、カティが迎えに来てくれるのが嬉しいから。
 恐らくカティもそれは同じだろう、と、何となく分かっていた。こうして遠回しに想いを伝えても、彼女が拒否することは無い。たまにではあるが、彼女もまた同じように想いを告げてくる。そんなささやかなやり取りが、心地良かった。
 ……だから、だろうか。こんな日々がずっと続くと、信じて疑わなかったのは。自分が本来いるべき世界が、ここではないと知っていたのに。

 ***

 彼……カズヤがこの世界に来て、明日で一週間が経とうとしていた。そのことに気づき、私はそっと嘆息する。
 自分が彼に惹かれていることには、とっくに気付いていた。出会ったときから何となく、他の男性とは違うと、何かを感じていたのだ。実際彼は今まで私が知り合ったどんな男性とも違っていて、私を必要以上に賛美もしなければ媚びもしない、普通に反論してくるし軽口だって叩く、そのくせ度を過ぎて失礼なことも決してしない、とてもおかしな人だった。
 そして同時に、とても楽しい人でもあった。
 彼の語る故郷――『異世界』のことは、彼にとってはつまらなくても私にとっては新鮮で、それこそが私にとっての非日常だった。そう言うとカズヤはつまらなさそうに「そんなことだろうと思った」と嘆息するのだけれど、
 楽しくて、だから同時に、とても辛かった。
 確かにこの世界は、カズヤが言っているような退屈はしない世界かもしれない。けれどカズヤの世界がどんなに恵まれているか、彼は知らない。平和であることの尊さも、何も。
 今は偶然この国は平和だけど、三つほど国を挟んだところでは、ちょうど戦の真っ最中なのだ。その更に向こうでは、数年前に疫病が流行って多くの人が亡くなったという。カズヤの世界では治るような病気すら、この世界では治らない。彼の話を聴いていれば、それは何となく察することが出来た。
 カズヤの言う『退屈な日常』と言うものが、幼い頃から欲しくて堪らなかった。
 王女としての身分は、確かに彼が羨む『特別』かもしれない。けれどそれは私を縛るばかりで、自由に動くことなんて出来やしない。時には自分の想いすら封じ込めなければいけないし、苦しんでいる人たちを助けたいと願ったところで、叶うわけがない。
 そう、例えば……きっと私は、カズヤと結ばれることは決して無いのだ。別の世界から来たという彼には、身分と呼べるものが無い。素性の知れない少年と王女が結ばれるなんて、この世界ではありえないことだから。
「こんなことなら、出会わなければ良かった」
 寝台に横たわり、私は再び嘆息する。閉じた瞳の端から、何かがそっと頬を伝った。
 あの日、彼を助けなければ良かった。
 そうすれば、何も知らずにいられたのに。
「……ごめんなさい、カズヤ」
 魔法を失った彼には、自力で戻ることは出来ない。けれど他人が同じ魔法を使うことは、禁じられてはいないのだ。
 だから――

*
「カティ、どうかしたのか?」
「ふぇっ」
 ハッと我に返ると、彼が目の前で手を振っていた。その距離の近さに、そして私らしくない間の抜けた声を出してしまったこと、私は思わず赤面する。
「な、何でもありませんっ」
「……やっぱり変だぞ、今日。熱でもあるんじゃないか?」
「ありませんったら!」
 額に触れてこようとする彼の手を、慌てて掴む。カズヤは僅かに残念そうな表情を浮かべたものの、あっさりと引き下がった。
 ……そんな表情まで、愛しい。
「カティ?」
「……カズヤは、元の世界に帰りたいとは、思わないのですか?」
 彼の問いを無視して、ぽつりと呟く、カズヤは一瞬きょとんとした後、おかしそうに笑みを漏らした。
「自分からこっちに来といて、そんなことは思わないだろ、普通」
「そう……です、よね」
「俺、両親ともクラスメイトたちとも、あまり仲良くなくてさ。カティに話したような……非日常だとか退屈だとか、そんなことばっか言ってたから」
「でも、ご両親はきっと、カズヤのことを心配しているはずです」
「あー……それは、そうかもなぁ」
 苦笑するカズヤを見て、心を決める。
 愛しくて、堪らなかった。彼と一言交わす度、どんどん膨れ上がる想い。きっとそれは、彼も同じなのだろう。
 その愛しさが爆発してしまう前に、終わらせなければいけないのだ。
「……好きよ、カズヤ」
「カティ?」
 彼が目を見開いたのは私の言葉に対してか、それとも突然変わった口調に対してか。王女としてではない、一人の少女として話すのは、久しぶりだった。……そしてきっとこれが、最後。
「私は、あなたのことが、大好き。愛しているわ。きっともう、こんなにも誰かを愛することはないでしょう」
「何……だよ、突然」
 微笑んで呟く私に、彼は何かを感じたのか、不安げに眉をひそめた。そんな彼の手を、そっと両手で包み込む。
「カズヤは違うの?」
「……いや、好きだよ。大好きだ、カティ」
「そう」
 優しいその言葉は、何よりも鋭い剣。嬉しさと哀しさが同時に襲ってくる、そんな初めての感覚に、私はそっと目を閉じた。
「良かった。ありがとう、カズヤ。……ごめんなさい」
 付け足した言葉に、彼は訝しげな表情を浮かべる。それに微笑を返すと、私は一度だけ深呼吸した。
 大丈夫、きっとうまくいく。
「魔法の祖、奇跡の女神クローディアよ」
「っ!」
 紡いだ言葉に、カズヤは目を見開いた。それもそのはず、私が放ったのは、この世界の人間なら――否、恐らくカズヤの世界でも誰もが知る呪文。
 女神に授けられた、一生に一度の奇跡を起こすための呪文の、その始まりの言葉なのだから。
「彼と出会わせてくださったこと、感謝します。けれど……このままではきっと私は、あなたを恨んでしまうでしょう」
「カティ」
「だって、私と彼が結ばれることは、絶対にありえない。それなのに傍にいるなんて、そんな辛いこと、私には耐えられません」
「カティ!」
 滲む視界の中、震える声で叫ぶ彼を、静かに見つめる。
 ……きっと、ここで結ばれたいと願ったら、それもまた叶うのだろう。けれど、それではいけないのだ。ここは、彼の生きる世界ではないのだから。私のわがままで、彼のわがままで、縛りつけておくことは出来ない。
「叶うなら、どうか――

 彼を、元の世界へ。それが、私の魔法です」

「エカテリーナっ!」
 私の言葉に被せるように、カズヤが絶叫する。けれど、願いは聞き届けられたらしく、途端に彼は眩い光に包まれた。
「何で、だよ……何で」
 絶望の浮かんだ顔で、彼は私を見る。私は零れ落ちる涙もお構いなしに、にっこりと微笑んだ。
「愛しているわ、カズヤ」
 言い終えると同時、光は彼の姿を覆い隠して、砕け散るように消える。眩しさすら嘘だったかのように、戻ってきたいつもの景色。……彼と出会う前の、寂しいほどに静かな光景。ぼろぼろと量と勢いを増した涙を拭おうともせず、その場に立ちつくす。
 ……上手く笑えた自信は無かったけど、けれど彼の記憶の中に残るであろう私には、笑っていてほしかった。私が彼を想ったとき真っ先に思い出すのが、いつも浮かべていた明るい表情であるように。
「……愛、してる」
 きっと、絶対に忘れられない、終わってしまった恋の記憶。

 ***

「……泣いたなぁ、あのときは」
 窓の外に視線を向けたまま記憶を辿って、俺は苦笑交じりに嘆息した。彼女の言いたいことも理解は出来たが、問答無用で送還は酷いだろう。やっと想いが通じ合った、次の瞬間に。
 気付けば立っていたのは元の世界で俺が魔法を使った場所で、家に帰ると一週間行方不明だったらしい俺は両親にこっ酷く怒られた。けれどあの日々は忘れられなくて、以来、俺はただ一つの疑問だけを追いかけている。

 すなわち――奇跡は本当に一生に一度なのか、と。

「お偉いさんどころか、教師に知られただけで大問題だろうけどなぁ」
 乾いた笑みは諦めではなく、決意。たとえ相手が奇跡の女神でも牙を剥こう、そんな決意。
 彼女を愛していた。
 彼女を愛している。
 今も、彼女だけを、愛し続けている。
 だから――
「……何度だって、会いに行ってやる」
 挑戦的な口調で呟いて、俺は黒板に視線を戻した。

 ***


 二つの奇跡の果てに、辿り着いたのは最初の日常。
 彼女が願った魔法は、決して彼女の本意ではない。
 ゆえにその奇跡はただ、哀しみだけをもたらした。

 けれど少年の心は折れず、彼はなおも、願い続ける。
 奇跡の女神に抗ってでも、無慈悲な世界に牙を剥く。


 人々は絶えず魔法を使う。
 女神は絶えず奇跡を起こす。
 どんな願いであろうとも、無慈悲に。

2012/08/27
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