光を抱く者には、一生に一度の『魔法』が与えられる。そう父は言った。
 だからどうか心優しい子におなりなさい、善良に生きなさい。そう母は言った。
 この世界に住むものならば誰もが知っている、御伽噺にして昔話。光を抱く信心深い人々に、神が授けた一度きりの奇跡。

 けれど私は知っていた。魔法も、それを使う権利も、とても儚いものだと。みんな、自分の魔法が剥奪されることを何よりも恐れている。自分が悪事を働いてしまう可能性、魔法を奪われる可能性があることを知っている。
 魔法は、いざというときに身を護る切り札にはなりえない。何故かは分からないけれど、幼い頃から私はそう確信していた。それを自分が使えることに、恐怖すら抱いた。
 だから幼き日の私は、一つの罪を起こした。


 ――奪われる前に使えば良い、ただそれだけの話。

*

「お疲れ様でした、お嬢様。どこか寄るところはございますか?」
「友人が、駅前に新しい本屋が出来たと言っていたわ」
「では、そちらに参りましょう」
 私の言葉に、彼は微笑んで頭を下げる。視界の端に、通りがかった女生徒たちが頬を染めざわめくのが見えた。
 気持ちは、分からなくもない。この世のものとは思えないほど整った容姿を持つ黒髪の青年は、年頃の少女には騎士か王子かに見えるのだろう。彼女らからは見えないだろうが、その瞳は金色に煌めき、ますます彼を人間離れさせている。
「おや、お嬢様の方が御美しいですよ」
「……勝手に人の心を読まないでと、いつも言っているのに」
 突然投げかけられた言葉に、私は思わず顔を赤くする。そんな私を見て、彼はくすくすと笑った。
 社長令嬢、それが生まれた時から私に与えられている肩書だった。
 父の会社はそれなりに大きかったけれど、跡を継ぐのは兄と決まっていたから、両親はそこまで私を気にかけなかった。幼い頃は兄と同じくらいいた護衛の人数も、小学校に入る頃にはたった一人。
 ……けれど、彼さえいれば、私に危険は及ばないのだ。
 実際、私を護るのが彼だけになってから十年経った今でも、私が危険な目に遭ったことは無い。
「大体ね、貴方にそんなことを言われても嫌味にしか思えないわ。自分が他の女生徒にどう思われているのか、本当に分かっているの?」
「ええ、分かっておりますよ。人間は本当に単純で、面白い生き物ですね」
「……変わらないのねぇ、その態度だけは」
 嘆息すると、彼はにっこりとどこか含みのある笑みを返してきた。
 彼は、人ではない。では何なのか、と問われると、私にも答えることが出来なかった。初めて目の前に現れた時、彼は自分を『鬼』と称したけれど、それを確かめる術など私には無いのだ。ただし私は彼を信じていて、彼は私に忠誠を誓っている。それだけは、変えようのない事実だ。
 だって、そう。彼の忠誠心も、私に向ける優しい笑みも、きっと彼のものではないのだから。ふとそれを思い出して、僅かに胸が痛んだ。


 今から十年ほど前のこと。
 幼かった当時の私は考えた。今の自分は、『光を抱き』、他のみんなと同じように『魔法』を授けられている。けれど、それがいつまでも続く保証はない。いつか悪いことをして、『魔法』を使えないまま死んでいくかもしれない。
 そうでなくても、何故かは分からないけれど、魔法が使えるままでいるのは、とても恐ろしい。
 それは嫌だから、先に『魔法』を使ってしまおう。一度使ってしまえば、もう恐れることはないのだから、と。
 そうして現れた女神に、私は言ったのだ。

「護衛が欲しいの、女神様。鬼でも妖怪でも、妖精でも天使でも、悪魔でも死神でも構わない。私だけを護る、人間なんかには絶対負けないボディガードが欲しいわ。そうすれば、今私を護っている人間はみんな、兄さんの護衛になれるでしょう?」

 ……兄想い、と言えば聞こえはいいけれど。
 要するに、私は退屈で、そして窮屈だったのだ。出かけるときには常にたくさんの人が傍にいて、行動を制限される生活。どこに行っても注目を浴びるような、そんな生活が。たった一人でそれに耐えることが。兄もまた同じ境遇だったけれど、兄妹仲はお世辞にも良いとは言えなかったから。
 女神は複雑な顔で私の願いを聞き入れ、気付けば私の目の前には彼が跪いていた。目を閉じれば、今より十歳幼い、けれど変わらず恐ろしいほどに整った容姿が鮮明に蘇る。浮かぶのは今と同じ、穏やかでどこか懐かしい微笑だった。
 私が魔法を使ったことを両親は快く思っていなかったけれど、彼の実力……人間離れしたその強さを見て、私の護衛にすることを容認せざるを得なくなったらしい。彼が両親の信頼を得た今となっては、笑い話。
「お嬢様、着きましたよ」
 そんな彼の声で、我に返る。
 私たちの移動手段は、専ら徒歩だった。送迎の車は、随分昔に兄に譲ったから。大した距離でもないのだし、彼と一緒に歩く時間が長くなるならば、むしろ大歓迎。
「中にはお一人でいかれますか?」
「ええ、そうね。三十分くらい見たら帰るわ。外で待っていて」
 季節は真冬。三十分もじっと外にいるのは辛いだろうと分かっていながら、私の口はそんな我儘を紡ぐ。しかし彼は普段通りに微笑み、頷いた。
「承知致しました。それとお嬢様、歩きながら考え事をするのはお止めくださいね。危険です」
「あら、貴方が護ってくれるでしょう? ちっとも危なくなんてないわ」
「いくら何でも、余所見をした挙句突然転ぶような人間を護るのは難しいかと」
 苦笑する彼に踵を返し、私は店の中に入る。
 開店して間もないだけあって、人が多い。それを縫うように棚に近づき、本を眺めながらも、心の奥では別のことを考えていた。
「……とか言いつつ、護ってくれるのよね。絶対に」
 そっと呟けば、僅かに頬が染まるのが自分でも分かる。
 どんな敵からも、事故からも。彼は絶対に私を護ってくれた。彼といる限り、私はかすり傷ひとつ負わない。
 ふと、入り口で待っている青年にちらりと視線をやる。彼は私が去った方向を見つめてこそいたけれど、この人混みのせいか私の姿自体は見失ってしまったようだった。
 ……ちょっとだけなら、大丈夫かしら。
 そんな悪戯心が、顔を覗かせる。私は再び人込みの中に入り、念のため私の姿が紛れて分からなくなるように複雑に動きながら、彼がいるのとは反対の出口へ向かった。
 店の外に出てしばらく歩いたところで、振り返る。追ってくる影が無いことに悪戯の成功を知り、私は笑みを浮かべた。
「流石に追ってくることは出来なかったかしら」
 当たり前だ、見つからないように来たのだから。一方で、彼が追って来なかった事実をどこか寂しく感じる。そんな自分に気づき、私は苦く笑った。
 彼に対する感情の正体は、自分でもよく分からない。愛と信頼、そして僅かな依存……そんなところだろうか。彼は人ではないのだから、決して叶うことはないと分かっていたけれど。

 ――叶えてしまえば良いわ。

「え?」
 不意に聴こえた声に、私は思わず目を見開いた。きょろきょろと辺りを見回すも、通りすがる人々が訝しげに私を見るばかりで、声の主らしき人間は見当たらない。
 そんな私に、姿なき声はなおも囁きかける。

 叶えてしまえば良いでしょう? 彼を人間にするのでも、貴女が鬼になるのでも。同じ立場に堕ちてしまえば、そうやって思い悩むことも無くなるわ。

「同じ……立場に」
 堕ちる、というその言葉は、とても魅力的なものに思えた。彼と同じモノになって、彼と共に生きられるなら。
 ……私は、前にこの声を聴いたことが無かっただろうか。あるはずもない、こんな不思議なことがあれば、いくらなんでも覚えているはず。だけど、この既視感は……?
 不意に浮かんだそんな疑問は、すぐに別な感情で掻き消されてしまった。
 その言葉に従うために必要なものが、私には欠けている。
「……もう、魔法は使えないわ」
 奇跡は、一度きりなのだ。彼を召喚してしまった私に、他の願いを叶える資格はない。

 それは、あの女神が決めた理。本当に心から彼を思っているのなら、女神に背くくらいのことはしなくては。
 ――彼と、結ばれたいのでしょう?

「……女神に、背けば、叶う……?」
 いつの間にか、ぼんやりと霞がかった思考。ぐらぐらと揺れる視界。それすら構わず、姿なき声の言葉を繰り返す。
 彼と過ごすうち、大きくなっていた感情。諦めることなんて、出来るはずがない。
「…………私、は」
「すずっ!」
 差し伸べられた、見えない手。それを掴もうとした刹那、不意に後ろから抱き締められる。
 ……ああ、貴方の焦った声なんて、初めて聴いたわね。暗闇に落ちていく意識の中、私はぼんやりと微笑んだ。


*


 彼女との日々が楽しすぎて、失念していた。今日が『その日』であると。
 また、なのか。また、彼女を狙うのか。僕から、彼女を奪うのか。
「……させない」
 今度こそ、護ってみせる。彼女が堕ちるのを黙って見ているだけなんて、そんな真似は二度としない。そのために、僕が堕ちたのだ。全てを捨てて、彼女のためだけに生きようと決めたのだ。
 今の僕には、彼女を護るための力がある。
「そこにいるんだろう? こそこそ隠れていないで、出てきたらどうだ」
 女神の名を騙り、人を闇に堕とそうとするもの――悪魔、と呼ばれる存在。彼らは人が考えるよりもずっと多く潜んでいるが、僕が憎むのは一体だけである。
「……くけけ」
 僕の家族を奪い、すずを奪った悪魔。再びすずを奪おうとした、八つ裂きにしてやりたいほどに憎い存在。
 今の僕は、『鬼』である。彼らと同じ、人から成りし人外。だからこそ、一体くらいなら滅することも出来る。……命と引き換えではあるけれど、彼女を護るためならば惜しくはない。むしろ彼女のために、僕はいずれ死ななければいけなかったのだから。
 目の前に現れた異形を、僕は冷たく見据えた。

*

 すず、と彼女を呼ぶのは僕だけである。
 正しい彼女の名前は『鈴(りん)』であり、彼女と親しい者はみんな、彼女をそう呼んでいた。何となく読み方を変えたのを、彼女が気に入ったのだ。貴方にだけはそう呼んで欲しい、と笑って。
 すずと出会ったのは、物心ついて間もない頃だった。そこそこ大きな会社の跡継ぎ、という立場にあった僕は、同じくらい権力を持っていたすずの家に連れて行かれた。
 そうして、すずに出会ったのだ。お前の婚約者だ、という言葉と共に。
 親に決められた婚約。そこに本人の意志は無い。けれど僕とすずはすぐに仲良くなって、婚約者という言葉も自然に受け入れた 僕はすずが愛しくて堪らなかったし、すずもそうだったと信じている。周りにバカップルと苦笑されるほどには、愛し合っていた。
 ……幸せ、だったのだ。魔法なんて、使う必要性を感じないくらいに。それは永遠に続くと、信じて疑わなかった。
「すず……?」
 いくつもの屍の中、一人だけ血塗れで立っていたすずを見るまでは。
 すずだけではない。気付けば僕もまた頭から血を被っていて、ぬめりとした感触に顔を顰める。
「――っ!」
 瞬間、足元に転がる屍と目が合った。
 凄惨な傷口。地面もまたその血で真っ赤に染まっていて、倒れている彼らが既にこの世のものではないことは、見ればすぐに分かる。
 そんなことよりも、それが見覚えのある顔ばかりだったことに、僕は目を見開いた。
「父、さん……母さん?」
 それだけではない。少し年の離れた妹。母が千切れかけた腕で抱いているのは、この間生まれたばかりの弟だろうか。少し離れたところを見れば、祖父母も同じように転がっている。
 ……何かの冗談、そうに決まっている。
「ちがう、すずじゃない……ちがう」
 すずが、こんなことをするはずがない。うそだ。ちがう。
「違うよな、すず?」
 いつの間にか傍に来ていた少女を、縋るように見つめる。虚ろな、光の無い瞳が僕を捉えた。
 殺される。そう、直感する。しかし痛みが訪れることは無く、代わりにすずが潰れた悲鳴を上げ、その場に頽れた。
「すずっ!」
 慌てて血だまりの中に膝をつき、彼女を抱き起す。
「……ひっ」
 カッと見開かれた瞳孔。それが何を意味するかなんて、とっくに気づいていた。
 ふわり、と舞い散る白い羽。いつからいたのか……ああ、恐らく最初からいたのだろう。悲しそうに僕たちを見つめる、神々しいほどに美しい女性。けれど今の僕は、彼女に対して憎しみと怒りしか感じることは出来なかった。
 元々、僕は頭を使う方が得意なのだ。少し考えれば、容易く答えに辿り着ける。
「……何故ですか、クローディア様」
 奇跡の女神、と呼ばれ信仰を集める女性。彼女を睨み、吐き捨てる。
「どうして、すずはこんな『魔法』を使ったんですか。どうして……それを叶えたんだ」
 何が奇跡だ。
 すずが僕の家族を殺すのを、そうして自らも命を落とすのを、黙って見ていることしか出来ない奴の何処が女神だ。
 そんな僕の問いに、彼女は苦しげに瞳を閉じた。
「私は、『奇跡の女神』です。願われれば、叶えることしか出来ない……貴方たちが思っているほど、万能では無いのです。そして魔法を使った後の彼女は、私にはどうすることもできませんでした。……貴方は、悪魔と呼ばれるモノを知っていますか?」
 その問いに、僕は黙って首を振る。
「いいえ。……物語に出てくるようなのなら」
「それで構いません。貴方も知っているでしょう? 奇跡を起こす資格が与えられるのは、『光を抱く』ものだけ。稀ではありますが、闇に魅入られ、光を忘れ、その資格を剥奪される者もいるのです。または、大きすぎて叶わぬ願いを抱く者。そうして魔法が使えなくなった彼らが、どうなるか分かりますか?」
「……いいえ」
 再び首を振ると、女神は悲しそうに嘆息した。
「彼らはやがて、人でありながら、人の身を超越してしまうのです。女神の名を騙り、いとも容易く、人に罪を犯させてしまう。そうして人々を不幸に陥れるからこそ、彼らは悪魔と呼ばれるのです」
「……これは、その悪魔とやらが起こしたことだ、と?」
 確かに、それなら突然こんなことが起こった説明はつく。しかし僕は、僅かに目を細め、女神を見た。
「納得しろ、というんですか。これは悪魔のせいで起こった不幸だから、僕が家族を失ったのも、恋人を失ったのも、仕方のないことだと?」
 悲しげな彼女の表情、それが何よりの答えだった。
 怒りを吐きだすように、僕は深く息を吐く。ならば、心は決まった。僕らは……この世界に生まれてしまった人間は、奇跡に縛られ、魔法に縛られて生きる、そういう運命にあるらしい。
 ならば、その通りに。
「……魔法の祖、奇跡の女神クローディアよ」
 彼女を睨み、そっと呟く。人が一生に一度きりの『魔法』を使うときの呪文。間に入る言葉はそれぞれ違うと言われるが、最初の語りかけ、そして最後の願い申請だけは統一されているから、聞き違えようがない。
「……やり直したい。それが、僕の魔法です」
 最低限の呪文。しかし女神にはその意味が通じたのか、彼女は僅かに目を見開いた。
「本気なのですか?」
「ええ、もちろん」
 彼女に見えるように、微笑む。女神は諦めたように嘆息し、僕を見据えた。
「世界を『巻き戻す』こと……ですがそれだけでは、同じことを繰り返すだけでしょう」
「ならば力を。人じゃなくなっても良い、すずを護り悪魔を屠れるだけの力を。それも含めての『やり直したい』です」
 叶えられる願いは一つだけ。少々卑怯だが、付属するものを全て含めての『やり直したい』という一つの願いなのだ、と告げる。それを聴いて、女神は苦い表情を浮かべた。
「本来ならばそれも、『大きすぎて叶えられない願い』なのですが……良いでしょう。悪魔を止められなかった私のせいでもありますから、特例を認めます。ですが、一つだけ」
「何です?」
「悪魔を倒す力の代償として、巻き戻した後の世界では、貴方やその家族は最初から存在しなかったことになります。当然、その少女も貴方以外の男性を結ばれることになる。それでも、願うのですか?」
「ええ、すずを護れるのならば。どうせ、全て終わればすずに魔法を返すつもりでしたし」
 僕の言葉に、女神は絶句する。急かすように見ると、彼女は再び嘆息し、僕を見据えた。
「ならば、貴方の願いを叶えましょう。貴方は『鬼』となり、巻き戻った世界で、何らかの形でこの少女と関わることになります。悪魔は同じ日、同じ時間にやってくることでしょう。ここまでいえば、十分ですね」
「もちろん」
 微笑むと、光に包まれる。
 ――気付けば目の前には、幼いすずがいた。

*

 すずの護衛として、彼女に仕えた日々。それはかつて彼女を過ごした日常とは違っていたけれど、それでも楽しくて、幸せだった。
 だから、僕はすずを護らなければいけないのだ。消えゆく悪魔を無表情で見下ろし、ぼんやりと息を吐く。悪魔がいなくなるだけでば、駄目なのだ。
「う……」
 腕の中で、すずが目を開く。それに気づき、僕はにっこりと彼女を見下ろした。
「おはようございます、お嬢様」
「何があったの?」
 ぼろぼろの僕を見てか、彼女は訝しげに首を傾げる。
「何でもございませんよ」
「……すず、と呼んだわ」
 呟くような彼女の言葉に、聴かれていたのかと目を見開く。訝しげに、けれど微笑を浮かべてすずは続けた。
「私は『りん』よ、『すず』じゃない……だけど不思議ね、凄く懐かしかった。貴方に呼ばれるなら、『すず』の方が良いわ」
「お嬢様」
「すず、よ。もう一度だけで良いの、そう呼んで」
「…………すず」
 呟きように彼女の名を呼び、僕は泣きたい思いを堪えて微笑んだ。
 彼女の記憶にまだ、『鬼』ではなかった頃の僕がいる。朧気でも、残っている。それが無性に嬉しくて、哀しくて。
「貴女に、魔法をお返しします。僕がいなくなれば、女神が叶えた願いは無効となりますから」
「え?」
 目を見開く少女に、微笑。
「すず。……どうか、幸せに」
 指先から、まるで空中に溶け込むように粒子となって散っていく感覚が伝わってくる。……なるほど、『鬼』の最期は、こういうものなのか。死体すら残らない、死というよりは消滅に近い。すずの泣きそうな顔が視界に映ったけれど、最早彼女の頭を撫でる手すら無い。
「だから嫌だったのです。この結末は、あまりにも貴方が報われませんから」
 不意に聴こえた女神の声に、僕は苦笑する。彼女の姿はすずには見えていないようで、答えようとする前に女神は続けた。
「たとえ一体でも、悪魔を滅したのは大きい……ええ、これなら上手く誤魔化せることでしょう。誤魔化してみせます」
 何を、と訊ねる暇もなく、彼女は消えゆく僕を見た。
 神と呼ばれるに相応しい、優しく神々しい笑顔で。

「もう一度だけ、世界を繰り返しましょう。再び人間として、彼女と生きなさい。大丈夫、悪魔は貴方が倒しましたから、もう現れはしません」

 その意味を理解し、目を見開く。……だって、そんなの。それは、ありなのか。
 光に包まれる視界の中、けれど安堵する自分がいたのも確かだった。


 ――幸せになろう。三度目の世界で、今度こそ。


 ***

 不幸を呼び、魔に堕ちて、叶わぬ願いは廻る。

 それでも少年は、願わずにはいられなかった。
 愛した少女が、幸福であることを。
 自らの全てと引き換えにしてでも。

 世界は三度廻り、彼らはようやく幸福を掴む。


 けれど堕ちた者たちによる悪夢は、未だ絶えず。
 悪魔と呼ばれる存在は数を増やし、女神に牙を剥く。


 人を変え場所を変え、世界すら超えて。
 紡がれ続ける、奇跡と悪夢の物語。


 ――女神の苦悩を、知る者は無い。

2012/06/30
inserted by FC2 system