15.みどりちゃん

 その日、あかねちゃんは本当に怖いことを知りました。


 
 あかねちゃんはこの日は終始ご機嫌でした。
 国語の時間に読んだ絵本がとても素敵だったからです。
 孤独な神様が一人の少女と出会って救われる。それを淡色の色彩で描いたその絵本は、入学したばかりのあかねちゃんにとっては、まるでスープのようにじわりとあたたかさが広がっていくように感じました。
 絵本のタイトルは、『こどくなかみさま』
「かみさまはうちゅうをつくりました。せかいは、かみさまとうちゅうにわかれました」
 授業中に必死に覚えた絵本の中身を忘れないように、あかねちゃんは帰りながらひとり呟きます。
「かみさまはうちゅうのなかににんげんをつくりました。かみさまそっくりのいきものです」
「かみさまはだれかにふれたいとねがったのでした。かみさまはこどくだったのです」
 所々はあいまいで、忘れてしまっている文章も多かったのですが、そんなことは気にせずにあかねちゃんは詠いつづけます。
「けれど、かみさまはせかいとはべつものでした。かみさまはにんげんとふれあうことはできなかったのです」
「それでもかみさまは、ただせかいをみまもっていたのです」
 てくてくと歩きながら、あかねちゃんは暗唱していきます。
「かみさまって、ほんとうにいるのかなぁ」
 それはこの本を読んだあかねちゃんにとって、初めての疑問でした。
「呼んだかしら」
「えっ!」
 その声は唐突に聞こえてきました。あたりには誰もいないと思っていたのであかねちゃんはとても驚いて、勢いのあまり転んでしまうところでした。
「え……、と、どこ」
 きょろきょろとあたりを見回しますが、やっぱりあかねちゃんの周りには誰もいません。
「ききまちがいかな……」
 あかねちゃんがそう結論付けようとしたその時「ちょ、ちょっと待って! 無視しないでったら!」とやはり声がします。
 そして胸のあたりでまるで肌がまばたきしているような異様な感覚がしました。
「え……!?」
 あかねちゃんは恐る恐るワンピースの胸元を引っ張って中を覗き込みました。
 
 
 
 ぬらり、
 
 
 
 輝く眼球が、あかねちゃんが覗くのと同じようにあかねちゃんのことを見ていました。
「ひっ……」
「あっ、あー。あー! ちょっと叫ばない叫ばない! 何もしないから!」
 目玉のそのひどく慌てた言葉にあかねちゃんは目をぱちくりさせると、再びじっと目玉のことを見つめてみます。鎖骨よりやや下、ちょうど心臓の真上のあたりに、瞼もない眼球がぎょろりと張り付いています。目の色は深い藍色にほんの少しだけ真緑を足したような不思議な色で、時折ぐるりと回転しています。
「いやー……、本当に見える人には見えるものなんだねー。このまま誰にも見られず寂しく死ぬのかと思っちゃったよ。あ、他の人には見えないみたいだから安心しといて。だからとりあえずこのまま歩いて帰ろっか」
「え、あ……あ、うん」
 目玉にそうまくしたてられ、あかねちゃんは思わずうなずいてしまいました。確かに、自分の胸元を見てずっと道で立ち止まっているというのは、あまりクラスメイトに見られたい姿ではありません。それにしても、声はどこから出ているのだろう、とあかねちゃんは思いました。
「そうそう、神様って本当にいるのか、だったっけ。その答えが私」
「え、じゃあめだま……さんはかみさまなの?」
「うーん、目玉さんって呼び方なんかやだな。せっかくだからみどりちゃんって呼んでくれない? それが私の名前」
「うん、わかった。みどりちゃん」
 そういうと、みどりちゃんが嬉しそうにするのがなんとなくわかりました。
「ありがとっ。そう。で、その答えはイエス。といっても、創造神みたいな大きな神じゃないけどね。ちっぽけな道祖神みたいなものでさぁ……」
「……どうそじん?」
「ってあーっ……、そっかわかんないか。まぁ私が神様みたいなものですよーってとこだけ覚えといてくれればいいから」
 そういってみどりちゃんはからからと笑いました。あかねちゃんの体に張り付いているからなのか、それを見ているだけでなんだかあかねちゃんまで嬉しくなってきて一緒に笑ってしまいます。
 それが、あかねちゃんとみどりちゃんの出会いでした。

 家に帰ってから、そしてそれからも日常の端々であかねちゃんはみどりちゃんの話を聞きました。
 ただ、みどりちゃんの話はまだまだあかねちゃんには難しく、理解できないこともしばしばでした。
「かみさまって、どんななの?」
 というあかねちゃんの問いに、みどりちゃんは一度息を大きく吸って、
「んー、そうだね。神様ってのはそんなに大きな存在じゃないよ。たとえば私なんかだと木々の成長を速めたりとか小さな乱気流を作り出したりとか。人間にだって道具を使えばできそうでしょ? でもね、そんなことよりもっと大事なことがあるの。それは、自分がはっきりと神様だって自覚してるってこと。世界の構成要素の一つとして"神様"が含まれていて、その構成要素だっていう自覚と素質と制限が私の中にあるの。霊魂にせよ精霊にせよ、そういう感覚はないから、彼らはその有無をもって神と被創造物の違いをはっきりと示していることになるんだよ」
 そう言い切ると、ふぅ……とため息までつくのです。
「むずかしいね……」
「まぁそんなものよ。ってあぁ、ごめんね。難しかったね」
 みどりちゃんの話はあかねちゃんには難しいことも多かったですし、わかるときよりもわからないときの方が多かったのは間違いありません。それでも難しい話をしているときのみどりちゃんはとても楽しそうで生き生きしていて、それを聞いているだけであかねちゃんも楽しくなってくるのでした。

 それから、何回かの年越しを迎えました。
 いつからか、みどりちゃんは次第にあかねちゃんの胸にいないことが増えました。
 あかねちゃんはそのたびに不安になりましたが、みどりちゃんはひょっこりと戻ってくると、いつものように難しい話と、女の子のような話を織り交ぜていつまでもあかねちゃんとお話をしました。
 いつだったか咄嗟に気持ち悪いと思ってしまったその姿も、やがてあかねちゃんにはなじみ深いものになっていきました。

 そんな風に過ごして、そしてみどりちゃんがあかねちゃんの胸にいる時間が極端に短くなってきた、ある年の冬の事です。
「それにしてもほんとうに他の人には見えないんだね」
「そりゃ、私も本気を出せばみんなに姿を見せるぐらいはできるのよ。でもやっぱりちょっと疲れちゃうのよね」
「そうだね……。でもいつかこのままじゃなくて、みどりちゃんとあかねでどこかに行きたいね。二人でいっしょに遊ぶの!」
「……ふふ、そうね」
 ぷにり、とあかねちゃんはみどりちゃんを撫でます。あかねちゃんの目よりも少し大ぶりで少し凝っているようなその目は気持ちよさげにそれを受け入れます。
「あ、でもね」
 みどりちゃんは不意に言いました。
「もしかしたらもう少ししたら、私もあかねちゃんみたいになれるかもしれないよ」
「えっ、そうなの?」
 その突然の言葉にあかねちゃんはひどく驚きました。
「私が嘘ついたこと、あったっけ?」
「……ううん」
「だから、安心してなさいな。無茶はしないから。もうちょっと時間はかかるけど、春までには準備できるはずだよ。楽しみだね、あかねちゃん」
「うん。とっても楽しみ! 一緒に山に行こうね!」



 春になって、約束通りみどりちゃんはあかねちゃんの上の学年に転入してきました。
「ほら見てあかねちゃん。こうして動けるんだよ!」
 制服姿でくるくると回るみどりちゃんはとても楽しそうで、それを裏付けるかのように風がひらりと常盤色の髪を舞い上げます。みどりちゃんの制服は新品で、箪笥から出したばかりの匂いがしました。
「うん、よかったね。みどりちゃん」
「やっぱりこうして動けるっていいね。あかねちゃんと同じものを見て、同じ遊びができるなんて!」
 みどりちゃんは体をくるくると踊らせて、とても楽しそうでした。身長はあかねちゃんより一回りは大きくて、しかもおっぱいもそこそこ大きいのです。あかねちゃんが見ても羨ましくて、そして少し悔しくなってしまうような綺麗な姿でした。
 そしてその綺麗な顔であかねちゃんに微笑むのです。
「ねぇ、今日はどこにいこっか」
 深い藍にほんの少しだけ真緑を足したようなあの瞳が、あかねちゃんをじっとみていました。
 
 それからあかねちゃんとみどりちゃんは、いろいろなところに行きました。
 小さいころに戻ったかのように野山を駆け回りました。みどりちゃんはとても足が速くて、おいかけっこでは一回も勝てませんでした。最後はふたりともくたくたになって、木陰で一緒にお昼寝をしました。
 みどりちゃんのお母さんと一緒に、冒険ものの映画を見に行きました。みどりちゃんもあかねちゃんも涙もろかったので、女の子が敵を打ち倒すシーンで二人とも大泣きしてしまいました。
 家でゲームをすることもありました。アクションゲームだとずっとプレイしていたあかねちゃんが、クイズゲームだとあたまのいいみどりちゃんが勝ち続けてしまうので、二人で協力できるRPGをプレイしました。
 ふたりは今までずっと遊べなかった時間を取り戻すかのように、夢中になって遊びました。学年こそ違いましたが、ふたりは親友だったのです。

「……ねえ、あかねちゃん」
 みどりちゃんはある時言いました。
「……なぁに、みどりちゃん」
「あかねちゃんは、ずっと私といてくれる?」
 あかねちゃんはそれにすぐに答えます。
「うん、もちろんだよ」
「あかねちゃんはずっと私を見ていてくれる?」
「え? うん、ずっといっしょにあそぼうね、みどりちゃん」
 それを聞いて、みどりちゃんはほっとしたように笑顔を浮かべて、そしてくちびるを少しだけ動かしました。
 彼女が何と言ったのか、あかねちゃんは聞き取ることができませんでしたが、安心してくれたのがわかって、あかねちゃんはほっとしました。
「あ、おなかすいたね。はやくもどろう、みどりちゃん」
「そうね、戻ろう、あかねちゃん」



 そしてその日はやってきました。



 その日はあかねちゃんの誕生日でした。今年の五月の最後の日は嬉しいことに日曜日だったので、あかねちゃんはとても嬉しいのでした。しかも、みどりちゃんの家で誕生日パーティーを開いてくれるというのです。
「ほんとうにありがとう、みどりちゃん!」
「気にしないでよ、あかねちゃんにはお世話になったしね」
 みどりちゃんは恥ずかしそうに頬を掻きながら、あかねちゃんを部屋へと案内します。
「あかねちゃん、お誕生日おめでとう!」
 集まってくれたみんなが口々にお祝いを言ってくれます。
 おかあさんとおとうさんが次々においしそうな料理を持ってきて並べていきます。外はもう蒸し暑いぐらいでしたがクーラーが効いているので快適で、だからか集まってくれたみんながとても生き生きしているような気がしました。
 お誕生日パーティーが終わりに近づいてきて、みんながそわそわしだしたのを見て、おとうさんがいいました。
「それじゃあお待ちかねのプレゼントの時間だ。あかね、こっちにきなさい」
 おとうさんは自分の後ろに置いてあった大きな包みを取り出すと、それをあかねちゃんに差し出しました。
「お父さんとお母さんからだ。ほら。開けてごらん、あかね」
 あかねちゃんは素直に頷くと、赤い包み紐を引っ張りました。出てきたのは大きなティディベアです。
「前にくまのぬいぐるみが欲しいと言っていただろう、気に入ってもらえたかな」
「うんっ!」
 あかねちゃんはぎゅっとティディベアを抱きしめます。犬のコロも嬉しそうにあかねちゃんに駆け寄ってきました。
「よしよし」と頭をなでてやると、コロも嬉しそうにひと鳴きします。
「あかねちゃん! あかねちゃん!」
 次にそう声をかけてきたのは幼馴染のみずきちゃんとはづきちゃんでした。
「みずきちゃん、はづきちゃん! ……うわぁ!」
 あかねちゃんは二人を振り返ってとても驚きました。ふたりは大きなピンク色のハートのクッションを抱えていたからです。あかねちゃんが一抱えするような大きさのそのクッションは、どうやら手作りの様でした。
「えっへへー、驚いた? みずきちゃんと一緒に作ったんだ」
「頑張って作ったから、時間かかっちゃった。最近一緒に帰れてなくてごめんね、あかねちゃん」
 すまなさそうにするみずきちゃんに、あかねちゃんは大きく首を振ります。
「ううん、だいじょうぶ! こんどあそぼうね! クッションありがとう!」
「今度山の方に行こうよ! お化けが出るって噂だよ!」
「あかねちゃんは私と川に泳ぎに行くんだよ! これからの時期は涼しいから一緒に行こう、あかねちゃん!」
「どっちもいこうよ。みんなでいけばきっとたのしいよ!」
 みずきちゃんとはづきちゃんがそうしてあかねちゃんと出かける先を言い合っていると、長い髪をもった青年があかねちゃんに近づいてきて声をかけます。
「あかねのまわりはいつも騒がしいね」
 桔梗は穏やかに笑いながらそう言って、懐から取り出した小さな小包をあかねちゃんに差し出します。
「誕生日おめでとう、あかね」
「うわぁ……、あけてみてもいいですか?」
「もちろん」
 あかねちゃんは包み紙を破かないようにゆっくりと開けていきます。
 包みの中、白い箱の中から現れたのは、星形をあしらった首飾りでした。
「うわぁ、きれい!」
「喜んでくれて嬉しいよ。今年も一年よろしく、あかね」
 あかねちゃんは首飾りをそうっと首にかけました。壊してしまいそうなので大切にしようと心に決めながら。
 あかねちゃんは自分が首飾りを付けている様子を見たくて鏡を探したのですが、見当たりません。洗面所にいくしかないかなと思っていたところに、最後の一人が声をかけてきました。
「あかねちゃん、お誕生日おめでとう」
 常盤色の髪に、少しだけ緑を混ぜたような深い藍色の瞳。みどりちゃんでした。
「私もね、あかねちゃんのために頑張ってプレゼントを用意したんだよ」
 みどりちゃんは後ろ手に持っていたものを取り出しました。
 みどりちゃんの手にあるのは、翡翠をふんだんにあしらった手鏡で、あかねちゃんにも一目で高価なものだと分かりました。
「こ、こんなの、もらえないよ」
 あかねちゃんは困惑して、素直にそう言いました。
 それに対してみどりちゃんは天使のような笑みとともに、あかねちゃんに手鏡を握らせます。
「いいの、私があかねちゃんに、あかねちゃんのためだけに用意したものだから、受け取って」
「う……、うん。ありがとう、みどりちゃん。たいせつにするね」
 押し付けられてしまえば、あかねちゃんも受け取らざるを得ませんでした。でも、もらってしまえばその綺麗な手鏡は誕生日プレゼントとしてこれ以上嬉しいものはないのでした。
 あかねちゃんは手鏡の裏面、装飾に目を輝かせてから、自分の首元にかかっている首飾りを思い出しました。
 この手鏡で首元の飾りを見てみようと、あかねちゃんは鏡を裏返して、覗き込みました。そして……、

「ひっ!」

 そこに映っていたのは小学1年生ぐらいの女の子の姿でした。つやのある黒い髪は長く、空色の瞳がどこまでも透き通って、まるで合わせ鏡のようでした。
 もちろん、あかねちゃんの髪はこんなに長くありませんでしたし、瞳も空色ではありません。
 それ以上に、どこかで見たことがあるような気がするこの姿を、どこで見たのか思い出せないことにびっくりしました。
 これはどういうことなのかと混乱するあかねちゃんに、みどりちゃんは言いました。

「ねぇ、あかねちゃん。素敵でしょう、その鏡」

 耳元で囁かれる声はひどく暗鬱な響きでした。ぞくり、と背中を冷たいものが駆け上がるような、そんな感覚にあかねちゃんはとらわれました。そして、そんなにも近くにいるのに、みどりちゃんの特徴的な翡翠の髪が、全く目に入らないのです。これだけ近づけば、視界の端に必ず垂れ下がっているはずなのに。
 あかねちゃんはふと恐ろしくなって、一歩後ろへと下がります。そして、ドン、と誰かにぶつかりました。
「痛いなぁ、あかね。気を付けてよ」
 そこにいた桔梗の目に光はなく、ただ虚ろな表情に張り付けたような笑みであかねちゃんを見下ろしているのです。
「え……、き、ききょう……、さん……」
 そして、あかねちゃんを見下ろしているのは桔梗だけではありませんでした。
 コロも、
「コロ……、ねえどうしたの……?」
 はづきちゃんも、
「はづきちゃん……?」
 みずきちゃんも、
「み、みずきちゃん……」
 おかあさんも、
「おかぁ……さん……」
 おとうさんも、
「お……、おとうさん……」
 いつの間にか、全く気付かないうちにあかねちゃんを取り囲んで、同じように虚ろな目に道化師のような、あるいは仮面のような笑みを張り付けて、あかねちゃんを見下ろしているのです。身動きもしないその姿は、まるで陶器でできた人形のようでひどく不気味に思えます。
「い……、いや……」
 気づけばあかねちゃんは、取り囲んでいる彼らから一歩でも離れようと後ろに下がろうとして、再びどんとぶつかりました。
「あっ……」
「ねぇ、あかねちゃん」
 ぶつかって、あかねちゃんの真後ろにいるみどりちゃんは、まるで何もなかったかのように続けます。
「私のプレゼント、どうだった?」
 くすくすと笑うようにしてあかねちゃんに問いかけるみどりちゃんは、今までとはまるで別人の様で。
 あかねちゃんは、ゆっくりと振り返っていきます。
 振り返っちゃだめだ……振り返っちゃだめだ……。
 心の中でそう叫ぶのも、動き出した体には届かずに、ゆっくりと首は真後ろに向いていき。
 翡翠の髪も、スタイルのいい肢体もそこにはなく。


 そこにいたのは"あかねちゃん"でした。


「ねぇ、体を乗っ取られて、どうだった?」
 目だけがかつてのみどりちゃんと同じように藍色に緑を混ぜたような色で、あかねちゃんにはそれが、確実にみどりちゃんであると分かってしまいました。
 いつもよりずっと緑の濃いその瞳が、あかねちゃんの心の奥底を覗くように凝視していました。
「ねぇ、どうだった?」
「い、いやぁ……」
 怯えるあかねちゃんに、みどりちゃんはゆっくりと近づいていきます。
「……ねぇ……」
 みどりちゃんは、にんまりと悲しげに微笑むと、怯えるあかねちゃんの前でくるりと一回まわりました。
「どうだったの……?」

 どろり

 ひるがえったスカートの裾から現れたのは緑色の液体で。粘性の高いそれはあっという間にみどりちゃんの足元を埋め尽くしていきます。
 それだけではなく、気づけばそれは窓から、扉から、換気扇から、家具の中からさえ、あらゆるところから溢れ出して、あかねちゃんめがけてゆっくりと迫ってくるのです。
 そしてその液体は触れたものを片端から飲み込んで、沈めてしまうのです。

 ぞぷ。

 ぞぷ。ぞぷ。ぞぷ。

 おとうさんとおかあさんががくれたくまのぬいぐるみも、
 みずきちゃんとはづきちゃんがくれたハートのクッションも、
 それがあった場所にはいつの間にか、緑色の水たまりになっていました。

 ぞぷ。ぞぷ。

 ぞぷ。ぞぷ。ぞぷ。ぞぷ。

 沈んでいくぬいぐるみとクッションを見たみどりちゃんはあかねちゃんの首元に手を伸ばしました。
 あかねちゃんの首元にある首飾りを掴むと、思い切り引きちぎりました。
 みどりちゃんはそれを放り捨てます。首飾りもまた、みどりの水たまりへと沈んでいきます。

 ぞぷ。

 ぞぷ。ぞぷ。ぞぷ。

 みどりちゃんにもらった手鏡も、ぞぷ、ぞぷ、と沈んでいきます。
 あかねちゃんを囲むように立っていたみんなも、気づけばあかねちゃんを見上げるようになるほど沈んでいました。
 あかねちゃんを取り囲むように迫ってくる液体の上に、残っているのはあかねちゃんとみどりちゃんだけでした。

 ぞぷ。ぞぷ。

 ぞぷ。ぞぷ。ぞぷ。ぞぷ。

 みどりちゃんは他に誰もいなくなったことを確認してから、あかねちゃんに手を伸ばします。
 もはやあかねちゃんの逃げ場所は、もうどこにもありませんでした。ただ、体をよじって逃げようとするだけです。
「あかねちゃん、ねぇ。……どうだった?」
「ぁ……、う……、うぁ……」
 あかねちゃんは、自分の姿をしたみどりちゃんが寄ってくるのを、ただ怯えながら待っていることだけしかできません。
「あかねちゃん、ありがとうね。こんな素敵な体をくれて。――だから」
 みどりちゃんはそこで一呼吸を入れて。

「さよなら」

 ドン、とあかねちゃんを突き落としました。
「ずっと一緒だよ、あかねちゃん」
 その声があかねちゃんに届いたかどうか、みどりちゃんにも、わかりませんでした。

☆☆☆☆☆

 ある時から、あかねちゃんはとても優秀になったと、言われるようになりました。
 それはあかねちゃんが両親や友人たちを、不幸な火事で亡くしてしまってからだと言われました。

 でも本当は中身が入れ替わっていたことに。

 気づく人は、誰もいませんでした。














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